9月5日(月):午前、開発会議。終了後、経営デザインシートの作成。簡易版で、カーボンニュートラル勉強会で使用できるように。夕方、拡大幹部会。劣後ローンについて説明。
9月6日(火):杜のホール橋本で、カーボンニュートラル勉強会。中小企業知財活動支援補助事業の一環。フーチャーセッションと銘打って、15社の中小企業とコンサル・コーディネーター、県・市、TAMA協会の関係者で31名の参加者。4回の勉強会の一日目。『私とカーボンニュートラル』。参加者個人にとって、自己歴史から、自社の一品を再認識する試み。全体説明のあと、午後からグループ討議。理想的な未来を描き、そこに向かう道筋を組み立てる。見田さんのプラトーへの試みと重なる。
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4グループに分かれ討論会と内容報告 |
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4回の勉強会の流れ、何故脱炭素かか?
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9月7日(水):フューチャーセッションの報告を、全社員さんへメール配信。どこまで伝わるか?Leave a NestのZOO勉強会。音声が低く聞き取れない。経済産業局の知財経営事務局から、採釈とのメール。ハードルが高く無理と思っていたので驚く。関東で10社のはず。夜、7時から災害防止協議会。時間の余裕があるので、『多摩防水ウレアテープ』の宣伝動画も流す。
9月8日(木):工場北面に断熱パネル貼り付け完了。雨水桶横に、植栽スペースの作成に入る。屋上防水後の簡単な緑化シスエムの見える化。下地は土なので、砂で水勾配を取り、リムクロンと断熱リムブロックで作成へ。夕方、平山台でやまぼうしの責任者会議。やまぼうし事業承継に向けての初めての全体に向けたミーティング。
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雨水桶横に断熱パネル施工。 |
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砂でレベル調整・予算と人員不足? |
9月9日(金):土地の売買に向け印鑑証明等、必要書類の取り寄せ。夕方、京王建設安全協議会の役員会。全国安全大会参加に向けの打ち合わせもあり。
9月10日(土):朝早くから、一人で花壇の作成。リムシートをカットし、貼り付ける。防草シートを貼り、土を入れる。200リッター近い土の量。ドラム缶から水を引き、土の半分に散水し、水の流れを確認。ぶどう棚下から茗荷を移植させて完成。上手く定着してくれればいいのだが。
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雨水曹横のリムクロンは仮置き |
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移植でたくさんの茗荷を収穫 |
エコに資する技術開発を掲げ、15年以上が過ぎた。思えば遠くへ来たものだ。エコに貢献しようと試みた太陽光パネルの設置事業は、メーカーと設置の仕方でもめ、3年でとん挫した。自宅と事務所上には設置した。もう13年が過ぎた。研究所・開発所と展開し、楢原の1,400坪の工場を入手したまでは良かったが、多摩信の方針転換とコロナ禍で足踏み状態が続いた。工場と販売に向け入社したスタッフは、6名以上が結果的には辞めたことになる。会社にとっては冬の時代だ。エコに資するで、旭化成建材と断熱材端材利用の共同研究他、地道に開発は継続した。お金がなく特許や新技術登録もままならず、いくつかの特許も資金不足で放棄した。
エコの時代を予感したのは、京都議定書とその翌年のNHK特集 深層海流:2000年の旅?そんな題名の放送を見た頃から。あれから、四半世紀が過ぎた。現状は、想像より先を行き干ばつ・洪水・山火事・凍土氷河の解凍が轟音をたてながら進む。それなりの覚悟を持ち全世界で取り組む課題は、まだ他人ごと。リーマンショックや、コロナ禍が無ければ、よりひどい状況になっただろう。今一度、価値観を見直すチャンスをコロナはくれた。
停滞していた開発は、都や国の支援を受け、本当にエコに資する技術として世に出ていく可能性が出てきた。都のオンブズマン支援・国の知財定着伴走支援・そしてTAMA協会のカーボンニュートラル研究会。単なる脱炭素から、働きかた改革・コミュニティー(社会)の在り方の問い直しへと、新しい切り口で世直し的なSDGsに向かえるかどうか?これからが本番だ。
新しく社員さんを迎えるための、【今井ストーリー】は完成。これから多摩防水の過去と現在と未来に向けた【多摩防水ストーリー】と、今まで開発してきた技術説明【TAMABOU】の作成に入る。約5分の動画。上手くできるといいのだが。
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