2015年9月6日日曜日

防災の日に思うこと

今週の出来事

 9/1(月)防災の日(関東大震災記念日)・9/2(火)UR都市再生機構の技術分室にてテスト施工打ち合わせ。9/3(水)某ゼネコンの安全パトロール、バスにて4か所の現場パトロール。9/4(木)銀行と融資打ち合わせ・認定NPOやまぼうし打ち合わせ。9/4(金)、政策金融公庫と経営革新計画に基づく融資打ち合わせ。9/5(土)先週に続きコンペ(ゴルフ)。・・・・リムシートが目鼻が付き始め、工場ラインを作るため、人と工場が必要になる。資金を集める必要があり、銀行関係の打ち合わせが増えてくる。発注した機器は海外からの輸入もあり、時間がかかる。
仮設住宅の工事で、南相馬や気仙沼へ。南相馬は、放射能に対する警戒もあり、社員さん達を同行するのに非難もされた。直の下請けさんや、協力業者さん5社は、心よく応じてくれた。ある現場では、通常なら2か月はかかると言われた仮設住宅屋根の防水工事を、10日くらいで完了させ、内装業者さんに渡すことができた。この写真は、南相馬の海岸線。

 9/1は防災の日。東日本大震災:3.11から4年と半年が過ぎてしまった。風化させてはいけない。関東大震災も同様だが、過去の震災もこれから起きる震災や巨大「水・火山他」災害も、事実としてどう受け止めるかだ。受け止めたら、それに向かいどんな対策を立てていくのか?それが、これからの課題。

延々と続いていた津波の猛威。重機すら丸い鉄の塊。
住居本体は跡形もなく、土台コンクリートもうねって。













 東日本大震災の後、5月の連休を利用し、
仙台から南三陸をへて、海岸線を気仙沼へと
向った。まだ、道の復旧はしていないため、道が途絶えれば、山道を内陸部へ走り、また、海岸線へと戻りひた走った。『何故?』被災地独特の匂いと、ひたすら破壊された村と街、そして港。

 そして、大船渡まで45Kの地点で、この看板に
出会いました。「津波浸水想定区域・・ここまで」

 これはショックでした。延々と続く津波の痕に出会ったこの看板。看板から、さらに50m位先まで、津波は来ていました。思わず口をついて出てきた言葉,『うそつき』・・・・100年に一度の想定外。だから福島原発の津波対策無しは、仕方ない。海岸線に生活してきたのも仕方がない。・・・・・・・ここから。この看板に何回か出会いました。

 
 この看板は、僕の人生を変えました。この看板に逢うまでは早く会社を後継者に引き継ぎ、障害者のためのNPO活動をすることだけを考えていたのです。・・・・この看板を公費で建てた人達を心から尊敬します。多くの反対のを押し切り、強い想いで立てられ看板だと思います。・・・・大事なことは、余暇のボランティアとしてのNPO活動ではなく、今いる場所で、自分の生業の場所で、震災や、エコというこれからの世の中の課題に向かいあうこと。…・・防水を生業とするのなら、エコや防災をも意識した防水工事であること。できれば、高強度の防水材で、建物をも守ること。・・・・・温暖化は進み極端化する気象…集中豪雨・大雪・長い真夏日。・・・・・自分の生き方も会社の指針も変更し、第2回目の経営革新計画の提出。そして、社長方針の見える化へ。仕事を通じて社会に貢献できる、当たり前の会社へと。

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