4月17日(月):朝から大雨。風も強く大嵐。残っていた桜が全部散る。写真を整理、昔話。通夜を明日にし、葬儀の段取りへ。
4月18日(火):集まってくる孫や親せきと話しながら、葬儀の役わりを決める。夕方7時より通夜。東京とだいぶ違う通夜。160人ほどの椅子がほとんど埋まる。102歳で友達も往き、会社関係もないのに参列者の数に驚く。式後、葬儀場に男たちは泊まり込み酒をのみながら夜が更ける。
4月19日(水):午後1時から告別式だが、11時半ころから焼香に人があつまりだす。昨日よりやや少ないが多くの人に囲まれ葬儀。終わりに母の写真を持ち火葬場へ。参列の方々にお礼の言葉。
火葬が終わり、お寺へ。そして、実家に母の骨と帰る。思い出話の再燃。後から来た人と近況のやり取り。
唐津の町が一望できる丘の上。 大平山斎苑にて火葬。穏やかな晴れ。 |
故郷の葬儀スタイルはだいぶ違う。 |
多くの思いでの品、選ぶのに苦労していた。写真の右側に母の弟、大工原章 の動画、『安寿と厨子王丸』のアニメをパソコンで流した。小学3年の時? 映画館へ。『白蛇伝』日本初の長編アニメ.作画監督に母の弟の名前があった。 |
100歳の時、総理大臣からのお祝い |
差し入れの料理も加わり、葬儀後の宴会 |
4月20日(木):新幹線で娘や孫たちと東京へ。
4月21日(金):AM:研究所にて特許事務所と打ち合わせ。PM:工場のラインの検討と建物配置の検討会。図面に落とすための基本的な配置図打ち合わせ。生産ラインの再検討がいる。
4月22日(土):研修センターは防水施工法研究所に名が変った。建物前の駐車場に実験用モックアップの作成が来週から始まる。AM:葬儀に頂いた献花や弔電の整理。PM:厨房用リムシートを入口の床に貼る。エル型ドレンの作成テストとシートの熱伸び実験のピース作成。
告別式参列の方々へのお礼。
本日は、母 志づ江の葬儀に多忙な中、ご参列いただきありがとうございます。母は、三日前の夕方、自分の子供たち全員と、孫たちが揃うのを待つように静かに息を引き取りました。最後まで、子供孝行の母でした。同年配のご参列の方にはご理解頂けると思いますが、戦後の大変な時代に母は私共を育ててくれました。コメの心配だけは、お前たちにかけなかったが、父の口癖でした。その父に寄り添い、母は身を粉にして私共を育ててくれました。その母と父の背中が、私共兄弟が頑張って生きてくる大きな糧でありました。
今、102歳という高齢にもかかわらず、これだけ多くの方々にお見送りいただき、母がいかに多くの方々に愛されて生きてきたかを感じています。出会う人達との関係を誠実に大事に生きていけと、改めて母に諭されている気がします。本日はありがとうございました。今後ともこのご縁を大事にしたいと存じます。これからもよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
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